두 영웅의 흉변
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坂本中岡兩雄の兇變
伯爵 田中光顯
十五日の夜自分は白川の陸援隊に居たが菊屋峯吉といふのが急を報じて來たので直ちに自川邸を駈け出し途中二本松の薩藩邸に立寄つて吉井幸輔に知らし夫から河原町に駈附け醬油屋の二階へ上つて見ると僕の藤助は上り口の間に横ざまに倒れ奥の間に入ると坂本と中岡が血に染んで倒れて居る其時坂本は眉間を二太刀深く遣られて脳漿が飛び出て早や締切れて居たが中岡はまだ斬られながら精神は確かで刺客亂入の模樣を語つて曰ふ突然二人の男が二階へ駈上つて來て斬り掛つたので僕はて君(卽ち伯)から貰つて居た短刀で受けたが何分手許に刀が無かつたものだから不覺を取つた而して坂本に斬掛つたので坂本は左の手で刀を鞘の儘取つて受けたがとう/\敵はないで頭をやられた其時坂本は僕に向つてモウ頭を遣られたから駄目だと言つたが僕も是位遣られたから迚も助かるまいと話をせられたのに對し自分は中岡を勵まし長州の井上聞多はあれ程斬られたけれど尙ほ生きてゐるから先生も氣を確かにお持ちなされと言つたけれど中岡もとう/\翌朝絕命したのは返へす/″\も殘念なことであつた。
谷の話しにもある通り坂本の遣られた時その刀を見ると鞘の儘受けたものだから其鞘に敵から斬込んだ跡が殘り而して坂本が夫を揮上げたときに鞘が天井を衝き破つてをるのが目に附いた其場合刺客は誰だか分らなかつたが後から伊藤甲子太郎といふ元新選組であつて其頃同志となつて居た男が來て其場に蠟色の鞘が落ちてあるのを見て是は新選組の持つてゐるものだといふので夫れで始めて相手が分つたが併し新選組の誰が遺つたかは今でも判然しない
中岡が死んでから陸援隊は自分と橋本鐵猪と二人で引受けて世話をする事になつた處で陸援隊では兎に角新選組の者が中岡を遣つたからとて義噴燃るが如く是非其仇討をせねばならぬといふので翌月七日の夜當時佐幕黨の領袖で新選組の腰押をしたといふ三浦休太郎(安)の家へ斬込む事になつた其時陸援隊に十津川の中井庄五郎といふ劍客が居た此男は兼て品川彌二郎から賴れて長州の村岡伊介といふ裏切者を附狙ひ其男が虛無僧になつて巧に姿を變へて居るのを探し出して見事に遣附た事があるといふので名を知られて居たから此中井を大將として陸奥宗光岩村高俊大江卓等十二三人が油小路の料理店河龜といふ三浦の居る處へ斬込んだが三浦も兼て警戒して居たと見えあべこべに中井は遣られてとう/\目的を達しないで引揚げた
併し自分は此擧を餘り賛成しなかつたといふのは今に維新の大號令が出るから其時吾々は更に大なる事業を爲さねばならぬ所謂前途爲すあるの身であるから詰らぬ斬奸など遣るのは宜しくないといふ意見で少壯の連中に忠告したけれどなか/\承知しない或時も隊に居る水戸の浪人が其頃藩の政務を執つてをる酒泉が彥太郎といふ男をやつ附けねばならぬと芳野等三四人の者は酒泉が祗園の一力へ遊びに行くことを知り夕方一力の門前に待ち受けてをると夫らしい男か門を潜つて這入るのを見て「酒泉サンぢやないか」と問掛けると「ソウでない」と其儘內に入つたから酒泉ぢやないと思つて油斷をしてをる處を其男は跡振り向ひて不意に浪人連中に斬掛けたので一同狼狽し終に二人まで手傷を負はされてホウ/\の體で逃げて其負傷者を隊へ擔ぎ込んで來た其中の一人は頭をしたゝかやられて居たが其時分の事だから碌な手術も出來ず木綿針で瘡口を縫ひ合せたが根が武士だから痛いとも言はず手當が濟んだけれど一人はとう/\死んでしまつた翌朝門へ出て見ると前夜擔ぎ込んで來た血の跡が道に殘つてをるので自分は下駄の裏で一々之を摺り消してしまつた事があつた前にも言つた通り自分杯も壯年の頃は暴發組の一人で隨分亂暴な事もしたがおひ/\前途に望が出來且つ隊を預かつてをるといふ責任があるからモウ此頃は血氣者流の軽擧盲動を戒しめ國に許した身を決して犬死をしないやうにと氣を附けたことであつた